呉服町防火帯の
更新計画

移ろいゆく呉服町を市民と共有

移ろいゆく呉服町を市民と共有

呉服町は、江戸時代に徳川家康が行った町割りの歴史から始まり、戦前まで多くの呉服店が通りに軒を連ねていました。その後、戦災と静岡大火の経験を踏まえ、火災から街や人々を守るため防火帯建築が計画されました。1958年の竣工時から、改修工事やテナントが入れ替わりつつも当時の建物のまま、現在も静岡市中心市街地の賑わいを創出しています。そんな歴史のある呉服町の防火帯建築も竣工当時から63年(2021年現在)が経過し、老朽化による更新時期が迫っていると考えます。
私たちは、呉服町の防火帯建築に対して一斉に解体と建替えの手法ではなく、商店街としての機能を継続させながら徐々に解体と新築を繰り返すことで、移ろいゆく街並みを市民と共有できる呉服町を計画しました。

市民と共に移ろう呉服町の未来

1958年

1958年

戦後の「耐火建築促進法」により延焼を防止するため呉服町通り約600mに面した6街区に2階~4階建ての鉄筋コンクリート造の防火帯建築が建設された。

2021年

2021年

現在も大規模な解体や建替えは行われずに、当時の構造体のまま商店街として静岡市の賑わいを創出している。

共同建築から少しずつ分棟へ

共同建築から少しずつ分棟へ

呉服町の防火帯建築は、老朽化による耐震性の低下、テナント利用率の低さ、景観・ファサードの劣化などの問題を抱えています。防火帯建築は一棟の建物の中に構造上、複数に区分され、それぞれが独立して使用するという「共同建築」のため、大規模な改修工事や建替えを行う際に、所有者同士の合意形成を図らなくてはならない難しさがあります。
この問題を解決するため共同建築から分棟へ更新を行い、これらの問題を解決する共に、より魅力的な呉服町となるよう提案しました。

だんだんと解体・新築を繰り返す

だんだんと解体・新築を繰り返す

呉服町の良さは、昼夜問わず賑わいがあり、高層建築のない明るい親しみのある街並みです。建替えを計画するにあたり、街区全体で一つの複合施設に建て替える一般的な再開発では、呉服町の良さを次の世代に継承できないと考えました。そのため現在の2階~4階建てのヒューマンスケールを保ちつつ、商店街の機能を継続し賑わいを途絶えさせず、だんだんと解体と新築を繰り返すことで、これからの呉服町を担う継承者や、市民の若者と共有し、世代を紡ぎながらゆっくりと呉服町全体が街並みを形成します。

「路地」と「裏道」が新たな賑わいを生む

「路地」と「裏道」が新たな賑わいを生む

建物を部分的に解体し新築する際、残った既存の地中基礎と干渉しない位置に離隔距離を確保する必要があります。この建物間の離隔によって空間が生まれます。そこに人が流れ、「路地」となります。また、路地の先に人が集う小さい広場をつくります。やがて小さい広場は新しい建物が建つにつれ、繋がり「裏道」となります。
「路地」と「裏道」は今までになかった場所として、呉服町に新たな賑わいをもたらします。

製作チーム

製作チーム

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※記念展提案は企業組合針谷建築事務所が独自に提案するものであり、実際の計画を示すものではございません。